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これはもう死語だろう、もしくは職人芸で出来る方は国宝級で残っているかも知れない。
1925年にバルナックライカが誕生したとある。 映画用フィルムを利用し現在のフィルムカメラの基準を作ったライカ。 当時はいわゆる我々が良く知っている「あのカメラのフィルム」が無かったわけで、ライカ登場後はその携帯性や撮影作業性は他の中判大判に比して「圧倒的」に優れていたことだろう。 とはいえ露出計はついていないし、初期型は距離計も無い(もしくは別)しという、今から見れば不便きわまりないカメラであった。 ライカ、そのカメラを持ってして「速写性に優れた」カメラとして長い間存在し、今でも確固たるファンは多いが、既にその「速写」領域は過去の遺物となった。 綺麗に撮れる「速写性」に優れたカメラはたぶん「ピッカリコニカ」や「ジャスピンコニカ」の登場でその座を明け渡していただろう。 ライカ使いの名手が多い中、木村伊兵衛やH.C.ブレッソンらが生きていたら果たして現在どんなカメラを使うだろうか。 名人たる伊兵衛は『いつでもカメラを手から離さずにいる事が大事だ』とその上達法を説いている。 その木村伊兵衛にM8、何ともにんまりな構図。いやいや彼こそ国宝級の速写術をもって、M3で現在も世を人を切り撮ることであろう。 して晩年のブレッソンは・・・・・GR1を手にしていたとも聞く。 ライカ的北京
by sa55t
| 2008-01-21 03:38
| 中国
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