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■ 圭子譚
「藤さん、こちらです。」
マネージャーの先導で人混みを抜けながら開演直前のプレミアショウの最前列に近い席につく。
カツラとこの薄いサングラスのおかげで周りは誰も気づいていないようで良かったわ。
何でこの忙しい時期にこの訳のわからないプレミアショウ!是非にというマネージャーの強い誘いで、予定表を強引に修正させてこの雨降る中を渋谷の会場まで出向いてきた。
浅草国際劇場で行われた「藤圭子ショウ」は昨日ではねてもうくたくたで、今日ぐらいはゆっくり休みたかった。

なんでも若い自分と同世代の女が歌うショウとかで、とにかく前評判が高いという。
私の敵を見ておけと云うことなのかしら。
敵?対抗馬? 何云ってんのかしら、”圭子の夢は夜開く”は70万枚以上の記録を出しているし、押しも押されぬ大スターにこの一年で上り詰めているこの私を脅かす歌手?1970年の星よ、私は。
いったい何なのこの子。

「どんな子なの?」
「そうですね、仲間内での前評判は大変いい子で、今日が一般への最初の日なんですよ。」
「演歌か何かなの、私の対抗ってことは。」
「いや、演歌とかではなくてですね、私も人づてに聞いた評判しか知りませんが、それはそれは変わった歌だそうなんですよ。」
「流行のエレキか何かを使った歌なの?」
「いや、どうも、そのリズムというかタイコの刻みが独特だそうで、メロディーもはっきりしないというか・・・」
「よく分からないわね。」
「あの・・・・、声がかすれている所なんかは藤さんっぽいらしいです・・・。」
「かすれ声ね・・・。」

会場が暗転しざわめきが静かに引いていった。前評判だけを頼りに来た聴衆の期待や緊張が、今度は無音のざわめきになって波打ち始めた。
まだ緞帳の上がらぬうちから突然聞いたこともないような重低音のリズムと、これまた聞いたことのないような妙な音のする楽器。リズムの波が押し寄せ切ったところでスポットライト浴びた緞帳がサッと開くと、そこにその女は立っていた。
うつむき加減で少し暗い感じ、その目、その鼻の形、記憶のどこかに引っかかる物を感じながら・・・。
歌詞というのではなく言葉の放流、今までの概念を超越したその歌い方。英語?日本語?

私はのどがカラカラになりながらやっと声を出した
「この子、なんて云う子なの?」
「宇多田ヒカルという新しい歌手だそうです。」
「う、た、だ・・・・。」
薄暗い中で、隣のマネジャーがニンマリしてこちらをのぞいている顔はもちろん私には分からなかった。
1970年、未だ暑い9月のある日。
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by sa55t | 2008-09-04 00:49 | その他